亡き人をとぶらうとは 

亡き人の歩んできた

老・病・死の人生に出遇であい 

その人生に教えられることです

(同朋新聞2月号 今月の法話「亡き人に拝まれて」廣瀬俊氏より)

 親鸞聖人は、教行信証の最後に『前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり』と仰っておられます。それは、前に生まれるものは人生の先輩として後のものを導き、後に生まれるものは人生の後輩として先輩の生き方に学ぶ。先輩方のご苦労のおかげで今の自分があり、老・病・死の姿を先輩の人生から学ばせていただいている。そして、そのことが途切れることなく、次の世代へ繋がってゆき、数限りない迷いの人々が残らず救われるのです。「亡き人に拝まれる」とは、自分の子や孫のためだけではなく、次の世代の若者たちが手本として学んでゆける同朋社会の実現ということが、阿弥陀様の願いであり、親鸞聖人のおっしゃる御同朋御同行の精神であるということを自覚的に生きることではないでしょうか。

同朋新聞は、月参りでお配りしておりますが、「早く読みたいなぁ」と思われる方は、本堂にもおいてありますので、ご自由にお持ちください。阿弥陀さまも待っておられます。😋

釋孝顕