濃尾平野の木曽川にほど近い、
一宮市に位置する慇重寺は、
500年近く続く浄土真宗の教えを
伝える寺院です。

慇重寺の長い歴史の中で、
数限りないいのちのつながりが
綿々と受け継がれて
500年近くの歳月が流れてきました。

そして、多くのご先祖のおかげで、
今日の私たちがあるのだなと
感じずにはいられません。
そして、その長い歴史の中で
受け継がれてきたのは、
ひとえに親鸞聖人の伝えられた
お念仏のみ教えです。

時代は変わり、
葬儀やお墓の形もかなり変わりましたが、
大切なことは変わることなく、
次の500年へと受け継がれてゆくことが
願われています。

そのための寺院として、
みなさまに広く門戸を開き、
どなたでもお参りしていただける寺院であり
皆さまの心の支えとなることを願っています。
お気軽にお参りくださいますことを
こころより念じ申し上げます。

慇重寺の概要

寺院名    自然山じねんざん     慇重寺いんじゅうじ
宗 派真宗大谷派
本 山真宗本廟(東本願寺)
本 尊阿弥陀如来
宗 祖親鸞聖人
聖 教浄土三部経・正信偈

【慇重寺の歴史】

室町時代の末期、天文八年(1538年)開基釋宗信によって開かれた真宗寺院である。開基である法名釋宗信の父・俗名小八郎(法名釈道勇)が、親鸞聖人の本願念仏のみ教えに帰依し、道場創立の願いを成就せんと、東五城村の岩田新右衛門並びに西五城村の岩田勘兵衛の両人に働きかけ、多くの御同行とともに浄財を集め慇重寺創建の願いが成就せられた。

慶長五年(1600年:関が原の合戦2ヶ月前)に、本願寺第12代法主である教如上人は、東国の徳川家康と会見したのち京へ帰る途中、三河三カ寺(本証寺・上宮寺・勝鬘寺)を中心とする地域の末寺・門徒に迎えられ、尾張清洲まで到着した。しかし、美濃笠松あたりの木曽川河畔の渡船場は石田三成方に固められ通行困難となった。

そこで教如上人は、地元の門徒や武家を通じて岐阜城主織田秀信に斡旋を依頼し、事なきを得て通ったという。その折の慇重寺住職西光坊釋浄心ならびに門徒らの尽力に対し、慶長六年(1601年)に「教如上人寿像」が下付された。

近代では、第16世釋静の時、明治24年(1891年)の濃尾大震災により本堂が倒壊した。釋靜は心身疲労にて倒れたが、第17代釋義雄が困難辛苦のなか、御同行の信心のよりどころの本堂の再建に取り組み、大正14年(1924年)本堂その他の諸堂の落慶入佛法要を厳修した。

戦後、第18世釋幽顕が昭和26年(1951年)に戦争中鉄の供出のため、損失していた鐘楼の再建、さらに昭和50年(1975年)には庫裡の再建をして、宗祖親鸞聖人七百回忌を厳修し現在に至る。

慇重寺の様々な取り組み

慇重寺では、多くの皆さまに様々な場面でお立ち寄りいただけますように広く門を開けてお待ちしております。今後も以下のような取り組みをしてまいりますので、ご興味がある方はご参加ください。

【終活セミナー】
このところよく耳にいたします『終活』を、普段足をお運びいただいている慇重寺にて、より身近に感じていただきながら、進めてまいりたいと思います。

また、“もしもの時の緊急連絡先カード”をご用意しておりますのでいざというときのために、ぜひご活用ください。