雪化粧した伊吹山を見て「綺麗だなぁ」と思い写真を取りました。普段は気にもとめない風景も、雪が積もったおかげでより鮮明に山の輪郭が見えるようになって、美しい姿を現したように見えました。でも、伊吹山はいつもそこにあるのです。常にそこに在るのです。私が気づかないだけで、いつもじっとそこに常に在るのです。

お釈迦様は、全ての存在および物事は、無常、 、 無我であるという仏教の根本思想をお説きになられました。地球誕生の長い時間で考えたら伊吹山も無常なのかもしれませんが、私たち人間のいのちの長さからしたら、伊吹山はあたかも常にそこにある存在です。黙って私たち人間を見守ってくれているようにさえ思えます。

慇重寺も伊吹山のように常にそこにあり、すべてのいのちを静かに見守ってくれるような存在でありたいと願います。本当に尊いことは、立派な本堂があることではなく、そこにご本尊と言われる阿弥陀様がいらっしゃって、私たちを見守ってくださっていることが尊いことなのです。

コロナ禍で毎日の患者数に気分が落ち込みますが、今日のように天気のいい日には外へ出て、雪化粧した伊吹山を見て気分をリフレッシュしてみてはどうでしょうか?  合掌

釋孝顕